「北の防人」その6

七、ソ軍の後続兵力展開と師団の攻撃再開

 師団が戦闘を停止し停戦交渉に任じている間、ソ軍は八月十九日一ぱいかかって火砲、弾薬車両の揚陸を終了した。この頃国端崎の速応小隊は加瀬谷第一砲兵隊長の命により射撃を中止してしまったので、ソ軍の揚陸作業は円滑に実施されたわけである。
 柳岡参謀長の停戦交渉とかかわりなく、兵力の集結を終えたソ軍は八月二十日大観台北方に展開し攻撃準備を始めた。占守街道正面を守備中の山田大隊長は八時頃「四嶺山東方稜線上にソ連兵の移動が見え、戦車が見える」との警戒兵の確認、これを旅団長に報告するとともに左第一線中隊に対戦車防御の重点を置き配備を増強した。旅団に対し肉攻用爆薬の増強補強を要求したところ「四嶺山付近のソ軍に対する射撃を待て」との指示を受けた。
 ソ軍は山田大隊の東側地区からわが地域内進入を企図し攻撃を発起してきたが、右第一線中隊付近からの歩兵砲と右後方野口大隊からの機関銃により進入出来ず後退した。別のソ軍は左第一線橋口大隊に向かい攻撃を開始し、ために小戦闘が展開された。
 小戦闘が繰り返され八月二十日が過ぎた。大観台北方のソ軍は展開を完了しているもののようであった。柳岡参謀長は帰来せず、このまま無為に終わらんか師団が危殆に瀕することは明らかであった。
 師団はこの敵を撃退し、もって師団の安全を確保することに決し、八月二十一日六時をもって攻撃を再開する旨命令した。命令伝達が終わった直後、師団は方面軍から停戦、武器引渡し容認に関するめいれいに接したのである。

八、停戦、武装解除

 八月二十一日参謀長柳岡大佐は軍使長島大尉及びソ軍将校数名を帯同して大観台の帰還した。ここで再び交渉が行なわれ、師団の企図する方向に交渉まとめられ、一切の戦闘行動を完全に停止、師団は八月二十三日、二十四日にわたり武装を解除した。