『北千島占守島国端崎の戦闘』その3

八月十八日の戦闘開始とその後の経過

 八月十八日〇〇.五〇頃不寝番の「何か小泊海岸の方で艦船のエンジンか何かの音がする」との声で全員起床し、速応小隊長の指示で山本分隊長外下砲車斑は全員障地内に入りすぐ射撃体制に入った。外は暗く濃霧のため視界は○であったが、エンジン等の音からして小泊海岸に敵が上陸しつつありと判断から小隊長は、すぐ射撃の号令を掛けた。
 尚これに先立ち配置に着く前に適応小隊長は全員を集め、十九年八月侍従武官ご差遣の際頂いた恩賜の葡萄酒を部下に飲ませ「小隊長の戦死後は小隊の指揮は山畑軍曹、山畑が戦死したら野呂軍曹、野呂が戦死したら山本軍曹が指揮を取れ」と命じておった。
 山本分隊が陣地内に入り所定の位置の兵を確認すると初弾を込め、分隊長自ら砲手に代わって眼鏡を取り付け、日頃の訓練通り照準を合わせようとしたが、暗くて目盛りが全然分からなかったので、訓練時の感覚で標準点にセットし、第一弾を発射したのが〇一、一〇〜〇一、二〇頃であった。 黙しこの時点で府仰角を誤り、弾が砲門の下部に接触した。この反動で刑部実二番砲手が後方に転倒し、後頭部を打撲裂傷したが、これは敵弾で負傷したものではなかった。
 小隊配属の下士官の配置は、山本軍曹は射撃指揮、野呂軍曹は通信と給与(糧抹の確保)山畑軍菅は監視所よりの敵情監視の任務に分かれそれぞれ任に着いた。
 その後連続して発射するが、時には敵の船に命中して火炎が上がる。次々に炎上する光を頼りに、日頃の訓練通りぶつ続け朝まで射撃を行った。
 夜があけて見ると小泊海岸に四〜五隻の座礁船が見え、炎上したまま海上を旋回する船も見えた。この頃から頭上で敵の銃弾が飛ぶようになった。
 観測所から見ると、小泊海岸の敵は、中には船から上陸して来る者も見えたが、炎上する船の周辺にはゴマを水に浮かべたように人が見えて、自分達の撃った砲弾の命中度に感激したりもした。 敵の上陸作戦は暗いうちに行われたようで、上陸した敵の大部分は四嶺山方面に向かったようであったが、一部は国端崎に向かっていることも確かのようで、時にはバシンと言う弾の音が聞こえるが戦闘状態がどのようになっているのか知る方法がなかった。