「北の防人」その3

二、第九十一師団の情況判断

 ソ軍の動きは、我が監視哨の目撃や小泊崎に挫傷しているソ連船に対しカムチャツカ半島から砲撃が加えられたりソ連機三機が国端崎上空を通過したり、カムチャツカ半島東岸に小型舟艇多数の移動があったが、師団長や幕僚は北千島の将来は米軍と強い関係をもつことはあっても、ソ連とは全く関係ないものと信じきっていた。また常識から考えても、終戦ソ連がこのような行動をとるとは疑ってもみなかった。加えて方面軍命令によって示された 「八月十八日十六時………………… 」 は師団において連合軍と大本営との協定であり連合軍第一線部隊にも徹底している筈と考えていた。

三、現地各部隊の状況

 国端崎の村上大隊長の判断もソ軍が攻撃して来ることはまずあるまいというものであった。国端崎の小隊長には電話により、軍師が来るかもしれないからよく注意して監視を続行するように指示した。敵の攻撃を予想しての特別警戒は何等指示していない。
 これということもなく一七日の夜に入ったが幾分気になると見えて夜半になって万一のため一部の部隊に対敵戦備につくよう命令し警戒を強化する程度であった。
 加瀬谷第一砲兵隊長はつぎのように回想している。
 十七日夜おそく、突然師団から命令を受領した。『ソ軍がもし上陸したならば、これを邀撃せよ』 と。私は日中の命令が変更された理由、何のための邀撃か判らなかったが、とにかく部下部隊に命令を下達した。「敵軍上陸に際しては、これを水際に撃滅すべし」と。然し先の命令の「撃つな」と後の命令の 「撃て」 と混淆し徹底しない部隊があったようだ。
 師団参謀水津少佐は次のように回想している。
 水際陣地は暗夜でも射撃出来るように訓練された精度も良好であったので、第一砲兵隊に邀撃を命じた。
 このような命令が、師団各部隊のどの範囲にまで下達されたか明らかでない。万一の場合の指針と警戒の強化ぐらいのものであったろう。
 対ソ戦闘に最も関係深い北部遊撃隊(村上少佐指揮の主力村上大隊) の戦闘計画は、概要次の通りであった。

  • 敵の上陸に当たっては極力水際において打撃を与える。
  • 敵浸入後は神出鬼没敵を奇襲しその前進を遅滞せしむるとともに、その後方部隊を攻撃して攪乱する。

遊撃隊の配置は次の通りであった。

  • 国端崎 第三中隊の一コ小隊 野砲二門 大隊砲一
  • 小泊崎 速射砲二門
  • 小泊崎北方五百米の台地 大隊砲二 速射砲一 ほかに第三中隊の一コ小隊
  • 豊城川付近 臼砲一コ小隊(四門)
  • 四嶺山 大隊本部、第三中隊(兵力一コ小隊) 十五加一門 十加一門
  • 大観台 第一中隊、第四中隊、歩兵砲一 速射砲一
  • 標高一一二高地 第二中隊
  • 村上崎 野砲一門

戦闘指導要領

  • 大隊長は四嶺山で指揮をとる。
  • 四嶺山、国端崎、小泊崎は最後まで死守する。
  • 敵が四嶺山、国端崎、小泊崎の陣地を包囲攻撃して来たときは第一、第二、第四中隊は敵の側面或いは背面からこれを奇襲する。
  • 敵が四嶺山、国端崎、小泊崎、の陣地に一部を残し主力を以て複郭陣地方面に南下した場合は各陣地ならび第一、第二、第四中隊は少数兵力から成る斬込部隊を編成して敵後方部隊を反復奇襲する。

村上大隊長は次のように回想している。
 各陣地の死守は地形上極めて困難である。それは地形が一般に平坦地で大した起伏がなく、樹木も小さな這松位で、これも燃料として使用していたので大分減少していた。このため隠蔽したところに洞窟を作ることが難しい。又斬込隊がどの程度成果をあげ得るかということであった。